『ギャップ』の魔力

こんばんは、氷雨です。
突然ですが皆さんは『ギャップ』と聞いて、何を連想しますか?

元々は稜線がV字型に深く切れ込んでいる所を指す登山用語らしいのですが、専ら「物理的な隙間や溝」「考え方の食い違いや意見の隔たり」を表す言葉で、世代間格差のことを「ジェネレーションギャップ」などと表現したりします。


「ギャップ萌え」なんて言葉もあるように、大半の方が最近は「いい意味」で捉えることが多いように感じる「ギャップ」という言葉。

実際、私が敬愛する声優・雨宮天さんも「ギャップの女神」のような御方で、クールビューティーな外見とは裏腹に、義理堅く人情に厚い、感情にとても素直なクソガキお茶目な中身が、人間味に溢れた魅力的な方です。


TrySail冠番組「Tryangle Harmony」というラジオでは、かつて「天なのにっ!」というご自身のお当番コーナーもありました。

奇跡のギャップ人・雨宮天さんの「意外な一面」を募集し、ユニットの3人全員が「採用」したら、天さんのプロフィールに掲載しよう!という「公式がそんな面白いことしてんの?」と突っ込みたくなるようなコーナーでした。


ただ、一口に「ギャップ」と言ってもやはり負の側面もあって、今回ちょっとばかし話題にしたいのはそちらの方だったりします。

一番分かりやすい例で言えば「理想と現実のギャップ」ですよね。
現実が理想に追い付いて行っていない、隔たりがある状態です。



これは私が少し前まで物凄く感じていたことなんですけど、周囲の評価と自己肯定感に大きな隔たりを覚えていた時期がありました。

私は天さんに何か気持ちをお返ししたい、感じている想いや感謝を形にしてお届けしたいという一心で、ここ2~3年の間に様々な施策を試みてきました。

その過程で私が思っている以上に、色んな方に名前を認識していただき、有り難いお言葉を頂戴する機会が本当にたくさん増えました。


そのこと自体は言葉にならないくらい光栄で、有り難いことなんですけれど、元々自己肯定感が低いゆえに褒められ慣れていない弊害というやつなのか、いただいた言葉をどう受け取けとればいいのか、正直すごく困惑していました。

師匠だとか、尊敬しているといった言葉をいただく度に、私はそんな言葉をいただいていい人間ではない、と本気で悩んだこともあります。


ガチ恋ツイートなんかも、私としては意味があって発言しているという趣旨のことを過去の記事で明らかにしたことがありますけれど、ある意味で逃げ道のひとつだったのかもしれないな、なんて思ったりもして。

一見すると頭がおかしいことをツイートしてイジられていた方が性に合っているというか、余計なことを難しく考えずに済むというか、変な話ですが「演じていて一番"ラク"なキャラ」だったのかもしれません。


もちろんツイートしている内容は全て本心ですし、天さんが好きな気持ちに嘘偽りなんて1ミリたりともありませんが、本当の自分って何だろうなあ、とか考え始めると際限がないのもまた事実だったりします。

SNSが発達して、誰もがネット社会における「もう一人の自分」を持つようになって、それが限りなく現実という名のリアルと重なるようになったことで、かつてのようにHNが"匿名性"を持たなくなりました。


そんな事を考えていた折、感情のバロメーターがマイナスに偏ってしまった時期に、ちょっとしたお叱りの言葉をいただいたんです。

内容については触れませんが、その言葉を咀嚼した上で感じたのは
「自分の言葉がもたらす周囲への影響」を正しく認識する必要性。

自己否定ばかりしていないで、いただいた言葉をありのままちゃんと受け止めることもひとつの責任なんだ、と感じるようになりました。


いただいた言葉に向き合い、応える。
それが責任でもあり、真摯さ誠実さなんだと。
自己否定は、ある意味で逃げなんだと、感じました。

何事に対しても、事実を正しく認識し、向き合う。
それを念頭に置いた上で改めて、好きな人が歌として届けてくれた言葉の一つひとつの意味が、また少し深まったような気がします。

『てく天』のその後

こんばんは、氷雨です。
久しぶりの更新になりました。皆さんお元気ですか? 私は推しの供給がありすぎて、そろそろ辞世の句を用意すべきかもしれません。(訳:元気です)


雨宮天さんのYouTube企画チャンネル『てくてく天ちゃん』が開設されてから、今日で早2ヶ月が経ちました。いつも更新ありがとうございます!

投稿された動画は今日現在で19本。忙しいスケジュールの合間を縫って週2回の更新を続けることは、撮りためていても大変なのではないかと思います。


正直当初はかなり不安要素が大きい中でのスタートとなりましたが、現在はファンの間でも概ね好評のようですし、私も毎回楽しみながら拝見しています。

これは天さん自身も、動画編集の仕方やスタッフさんの天さんへの接し方、そして視聴者たる私たちの全員が「慣れてきた」ということも大きな要因なのは間違いありませんが、私の中で二つの大きな変化があったので、今回はそれを記しておきます。


①永遠のAriaのリリースイベント

5月30日にアニメイト回のリリイベが開催されました。
このシングルにおいては、他の回も含めると計4回のオンラインリリースイベントが開催されたわけですが、私が当選したのはこの1回だけでした……。

詳しいレポートは他の方も挙げていらっしゃるので今回は書きませんが、この中で特に聞けて良かったなと思ったのが『てく天』に関するお話でした。
それは「なぜ企画チャンネルを分けたのか?」に対する天さんの考え方でした。


実を言うと「チャンネル、分けなくても良くない?」という考えが私の中にもなかったわけではなく、青き民の皆さんの中にもそう考えていらっしゃる方をお見掛けしました。そこに対する御本人の考えが聞けたことは、私の中でかなり大きな収穫でした。

端的に言うと「アーティストとしてのMVなどの動画が埋もれちゃうから」ということでした。それほど企画の動画をこれからも上げてくれるつもりなんだ!と、ファンとして当然嬉しく感じましたし、普通に「納得できる理由」だと思いました。


②『てく天』スタッフさんの人となり

ある晩にTwitterを眺めていると、不意にフォロワーさんのツイートが目に留まりました。それは『てく天』に関わっているスタッフさんに関してでした。

【PROFILE】澤井直人|澤井直人 |note

スタッフさん御本人が公開している情報なので、引用に問題はないと考えてリンクを貼らせていただきます。(問題があれば上記の情報は削除します。)


作家としてなのかプロデューサーとしてなのか、あるいはその両方で携わっているのかは分かりませんが、主要スタッフのお一人なのは確かでしょう。

このページを拝見してみて分かったことは、かなりバラエティ寄りの番組やYouTubeチャンネルで実績のある方らしい、ということでした。


さらに検索したところ、元々芸人を目指していらっしゃったこともあったようで、新規のお仕事となった『てく天』は、当然得意分野のテイストを生かしたチャンネルにしていこうと考えるのも、普通に必然的な流れだったんじゃないかなと想像できます。


実際、当初の『てく天』はメインでお話されているスタッフさんが、天さんに対して表面上かなり「芸人に対する雑な接し方」をしていたように感じました。

その理由というか背景が分かって、私はすごく腑に落ちたんですね。
その分野での成功体験があれば、それを生かそうとするのは普通です。


それを声優さんにも適用したのは、まあ戦場が違えばルールも違うというか、郷に入っては郷に従えではありませんけれど、ファンが求めているものを見誤っていた、ないし認識不足であったということにはなってしまうわけですが、ただ少なくとも私はスタッフさんの考え方はこのページを拝見したことで少なからず理解できました。


そしてたぶん、YouTubeのコメントやTwitterにおけるファンの温度感。これは製作するスタッフさんにも確実に伝わっていたんだろうと思います。

例えば私がこれまで感じていた「ちょっとなぁ……」と釈然としなかったものが、特に6月に入った辺りの動画からほとんど感じなくなっていました。


私たちファンが何を大切に思っているのかが、製作してくださるスタッフさんにも伝わった証拠なんじゃないかなと思っていますし、動画から感じ取れる範囲内でも、天さんのお茶目な姿に時折スタッフさんの笑い声が入っているように、楽しく収録が行われている様子が垣間見えて、打ち解けてるんだなあと勝手に安心している自分がいます。


   △   ▽   △   ▽   △   


というわけで、最後に現在上がっている動画の中で、個人的に好きだなあと感じた三本を紹介して、今日は終わりにしたいと思います。


3位【ゲーム実況】ボンバーマンに初挑戦!爆弾を置く声優。
www.youtube.com

お顔がとてもいい……!(台無し)
という冗談はおいといて、前回のゲーム実況で表情を気にされていた天さんが、私たちの反応を受けて「どんな表情でも良いんだ!」と改めて認識して、それを言葉にしてくださった導入部分のお話が、個人的にとても嬉しく感じました。


2位【ブルーチャレンジ】青いスライムを作ってみた!
www.youtube.com

お顔が(ry
いやあ、好きな人が無邪気に楽しんでいるご様子を見てる時間って、なんて心癒される時間なんでしょうか? 控え目に言って最高です!(迫真)

やっぱり御本人が楽しいと感じてくださっていることが、私たちにとっては大前提で必要なことでもあるので、その点でもいい動画だなと思います。


1位【検証】引き運チャレンジ!駄菓子で当たりくじ何個引けるのか?!
www.youtube.com

はい。好きな人が食べているお姿を見る、なんて幸せなんでしょう?
そしてさすがの引き運の良さ、御見逸れしました生涯服従を誓います


以上! 天さんが頑張りすぎない程度に無理のない範囲で、今後も更新を続けていただければ幸いです。これからも楽しみにしています! おやすみなさいzzz

メモ:傾向と対策

単なるメモ書きです
同じ過ちを繰り返さないための傾向と対策

傾向
・理想と現実のプレッシャー
・劣等感から来る自己否定
・全体的に投げやりな性質
・運営側との解釈の不一致
→この辺がウィークポイントになりやすい


対策
・理想を追求しすぎず、現実を許容する
(距離感を考慮しつつ本末転倒に注意)

・自らが他者に与える影響を考慮する
(自らの立場と現状を正しく認識せよ)

・衝動的に発信せず、必ず一呼吸置く
(心が危険信号の際はSNSと距離を取れ)

・推しがくれた言葉と笑顔を頭に置く
(もっと自分を愛して、自分を赦そう)

・減点方式ではなく、加点方式を取れ
(運営を否定したところで仕方がない)


今後の方針
・初心に返る
初めて好きな人や作品に触れた時のこととか
運営やファンに対してのリスペクトの心とか

・天年の宴企画
引き続き自らの行動に責任を持って完遂する

・ミリシタとP業
「引退」は撤回し、しばしの「休業」に修正
適度な距離を保ちながら、職務復帰を目指す

・周りが幸せになれる発信を
持論は持ちつつも、結局そういう形でしか
フォロワーさんに恩返しできない気がする


言葉は人生を変える。
いい方向に、変えよう
誰もが幸せを願ってる

君とのDistance

君とのDistance』はZARDの11thアルバムのタイトルです。ボーカル・坂井泉水さんが生前に遺した最後のオリジナルアルバムでもあります。

このアルバムには、名探偵コナンの第9作目の映画『水平線上の陰謀』の主題歌でもあり、TrySailもまた2016年6月5日に行われた3rdライブ『Smooth Sailing』でカバーを披露した『夏を待つセイル(帆)のように』が収録されています。


私の母はZARDの大ファンでした。デビュー初期から彼女の儚くも凛とした美しさと、紡ぎ出されるパワフルな歌声のギャップに魅了されたようです。

私が実家にいた頃、彼女の歌声を聞かなかった日はなかったくらい、毎日毎日来る日も来る日も、母と一緒にZARDの歌を聞いて口ずさんでいました。


ZARDのデビューと同い年の私は、坂井さんが亡くなられた14年前、当時高校生でした。学校から帰ると、テレビの前で号泣する母の姿がありました。

私は、母に掛ける言葉が見つかりませんでした。

好きな人が、応援する人が、かけがえのない大切な人が生きている。それは当たり前なんかじゃない、とても幸せなことなんだと子供心に感じました。



時は流れて、私にも心から応援したいと思う人ができました。
遠い日の記憶が、心に焼き付いているからなのかもしれません。応援し続けているうちに、私はその人に笑顔でいてほしい、幸せでいてほしい、と強く感じるようになっていきました。生涯、全力で応援し続けることを心に誓うくらいには。


面倒くさいオタクなのも、拗らせ過ぎていることも重々承知しています。
「生涯応援する」なんて、そんな簡単に出来もしないことを軽々しく口にしない方が良いと感じる方も、ひょっとしたらいらっしゃるのかもしれません。

けれど、どんなに後悔しても、伝えたいと願っても。
この世にいない人には会うことも、伝えることもできません。


好きな人が活動してくれている今この瞬間は永遠でも、決して当たり前でもないんです。同じ時間を過ごせることも、沢山の想いを届けてくれることも。

全部、奇跡なんです。だから私は、後悔したくないです。

伝えられるなら、ありとあらゆる手段でもって想いを形にして伝えたいし、伝える努力を惜しみたくない。それが彼女の幸せに繋がると信じてるから。



だからこそ、私は彼女の分身でもあり、彼女と出会うきっかけをくれた『北沢志保』に対して、全力を出せていない自分を赦すことができませんでした。

前回の「ミリP引退宣言」は、誰かに理解してもらおうなどという気は一切なく、自分自身の気持ちを整理するためのものであるのと同時に、言葉にして自らに発破をかけることで、ミリオンライブへの情熱を取り戻すための最後の賭けでした。


丸4日間のネット断ち、SNS自主謹慎を経て感じたのは、それでもやっぱり、志保ともミリオンライブとも別れたくない!という心の内なる叫びでした。

辞めたくないです、プロデューサーを。
諦めたくないです、志保と夢を掴む未来を。


ただ。
私にとっては必要な過程であっても、周りがどう感じるかという冷静な視点を欠いていました。完全に悪手だったと、今は記事の公開を後悔しています。

「強く握りしめすぎて 大事なものを壊してた」のは私でした。


あれを読んで、誰が喜ぶのか。
お前の好きな人は、あれを読んで笑顔に、幸せになれるのか?

自分に問いかけた時、答えは「NO」でした。
適切な距離感と、色んな人へのリスペクトを欠いていました。


多大なご心配とご迷惑をお掛けし、深く反省しています。痛恨の極み、忸怩たる思いです。何とお詫びすればいいか分かりません、申し訳ありませんでした。

けれど、一度口にしてしまった言葉は二度と戻りません。
それが責任を持つということだと思います。誠意で返していきます。


これからは、もう同じ過ちを繰り返さないよう「君とのDistance」を見詰め直しながら、また胸を張って応援できる自分に、担当Pでいられる自分に戻るために、そして自分を赦せる自分になるために、できることを少しずつやっていきます。

拝啓、十五の私へ
母も推しも泣かせないように、俺もっと頑張るよ
私より

私がミリPを辞めた日

こんにちは、氷雨です。
今、目尻に涙を浮かべながらこれを書いています。

想いの強さに対して行動が伴っていないことへの哀しさ、苛立ち、焦り。
例えるなら「愛し合って」いるのに、お互いのために別れを選ぶことを決めた熟年夫婦のようなものかもしれません。今日はそんなとあるミリPのお話をします。


2013年、秋
私がIDOLM@STERと出会い、プロデューサーになった頃です。

正確にはもう少し前からアイマスの存在は知っていました。私はニコニコ動画の草創期から全盛期に中高時代を過ごしたニコ厨です。β時代にアカウントを作り、当時のそこは無法地帯ではありましたが、同時に名もなきクリエイター達の楽園でもありました。


組曲やMADやまとめ動画などを漁るうち、いつの間にか耳馴染みになっていた曲の一つがIDOLM@STERの楽曲だった、と知るのは相当後になってからでした。

そんな折、ライトなアニメオタクだった当時の私は、その頃付き合いのあったとある先輩Pの勧めもあり、アニメ版IDOLM@STERの再放送を観ることにします。


私はどんどんと心を動かされ、気付いたらその頃は就活真っ只中であったにも関わらず、公開されたアニメ『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ』を観るために一人で劇場に向かうことに何の躊躇いもないほど沼に落ちていました。

その劇場のスクリーンで出会ったのが、北沢志保でした。


程なくして就活を終えた私は、アイドルマスターミリオンライブ! に足を踏み入れていくことになります。無印・本家の「アイマス」13人もいるゲームだし遊んでみよう、と軽い気持ちでGREEのゲーム(通称グリマス)にも登録しました。

無印・本家のアイマスにのめり込んでいた私は、アルバムを借りて過去の膨大な楽曲を聴き、13人のキャラクターと演者のバックボーンを調べたりしていました。


2014年、秋
私がミリオンライブ! のプロデューサーになった頃です。

そんなにハマっているならと、先述の先輩Pの勧めで、私はM@STERS OF IDOL WORLD!! 2014(通称MOIW2014)のライブBDを購入して観ることにしました。


そこで出会ったのが雨宮天さんであり、北沢志保でした。
震えながらも懸命に、堂々とステージに立つ姿。声の限りに、魂をぶつけるように歌い上げる様子。そして美しく気高くも、まだまだ不完全で未完成だった少女。

私の心は大いに震えました。雷に打たれたように「この子だ、この子を応援したい!」と直感が叫んでいました。その日から、私は北沢志保の担当Pでした。


2015年、春・夏
社会人としての生活をスタートさせるのと同時に、MOIW2014のライブBDで心を動かされた私は、積極的に「ライブ」に足を運ぶオタクに変わっていました。

THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 2ndLIVE ENJOY H@RMONY!!』(通称ミリオン2ndライブ)へのLVでの参加を皮切りに、『M@STERS OF IDOL WORLD!! 2015』への念願の現地参加を果たしながら、ミリオンへの愛着を確実に深めていきました。


2016年、春
THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 3rdLIVE TOUR BELIEVE MY DRE@M!!』(通称ミリオン3rdライブツアー)にも再びLVで参加したわけですが、その千秋楽・幕張公演Day2は、私の人生史の中でも1、2を争うほどの最高のライブでした。

ミリオンはいつしか私の「居場所」になっていました。数あるアイマスシリーズの中で、無印でもシンデレラでもなく、私はミリオンライブのことが大好きでした。


コンテンツが始まって間もない頃から応援ができたこと。
演者の皆さんが私と同世代で感情移入しやすかったこと。
どの演者の方も美しく、楽曲がバチクソに強かったこと。

何より作り物めいたわざとらしさがなく、けれど演者の皆さんから感じるキャラクターと作品に対する愛情の深さ。そしてそれぞれが織り成す成長と飛躍の物語。


色んな理由があったと思います。雨宮天さんがいらっしゃったということも、もちろん大きな理由であったことは疑いようがありませんが、とにかく私は39人(ないし52人)が深く固い絆で結ばれていたミリオンライブが大好きでした。

だからこそ、本家本元だったグリマスのサービス終了はとても寂しかったですが、『アイドルマスターミリオンライブ! シアターデイズ』が新しく始まって、気持ちが途絶えることなく、深く愛情と情熱を傾け続けることができました。


2018年、春
ゲーム内の企画で『THE@TER BOOST!』という投票企画が行われました。担当に仕事(役)を取ってこよう、といういわゆるアイドル対抗選抜総選挙企画です。

前年、グリマス時代に行われた『TH@TER ACTIVITIES』に続くシリーズで、プロデューサーとしては文字通り担当アイドルの活躍を自分の手で掴めるお祭りでした。


ところが、「TA」に続き「TB」でも、私の担当アイドル北沢志保は惜敗を喫しました。どちらも最後まで結果が縺れるデッドヒートを繰り広げた末の敗北でした。

この二連敗、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。担当Pとして力が及ばなかったことがもどかしく歯痒く、志保に対して情けない気持ちでいっぱいでした。


同時に私は思いました。私は志保に対して本気でいたのか。
本気でプロデューサーとして向き合っていたのだろうか? と。

そのように感じていた同担志保Pは多かったようで、いつか来るであろう「TC」での勝利を確実なものとすべく、担当有志が集まって志保の魅力をアピールする企画を立ち上げることになりました。


それが月刊少女北沢志保、通称『志保の日』でした。
2018年4月4日(4/4=しほ)を皮切りに、毎月4日を志保の日と定めてハッシュタグを作り、テーマを出し合いながらそれに沿った志保の魅力をTwitter上で喧伝しました。

スタートが完全に内輪での企画だったこともあって当初の知名度は低く、同担以外にはなかなか広がらず、当初の参加者はあまり多くはありませんでした。

それでも継続して行っていくことで、本当に少しずつ、少しずつ参加してくださるプロデューサーさんが増えていって、嬉しく感じたことを今でも思い出します。


僭越ながら、志保の日の「編集長」として企画に携わった一年は、自慢とかではありませんけど、誰よりも志保のことを考えていた一年だったと思います。

その甲斐もあって、翌年行われた「TC」では紆余曲折ありながらも、一致団結して無事に役を掴むことができました。志保Pにとって、三度目の正直でした。


2020年、夏
ゲーム内シアターイベントにて、約3年ぶりに担当上位イベントが来ました。
詳細はこちらの記事で触れているので、よろしければご参照下さい。

icerain.hatenablog.jp


このイベントを走り切った後、私は燃え尽きを感じるようになりました。
たぶん一年単位で、しばらく担当上位イベントは来ない。マンネリ化してユーザーの減ったゲーム。周年ライブも延期され、次にいつできるとも分からない状況。次第にミリオンライブに対するモチベーションを保てなくなっていました。


しばらくは何とか最低限度のデイリーミッションだけこなす毎日を送っていた私に、追い打ちをかける出来事がやってきます。それは『絵本』志保のガチャでした。

このカードは限定ではなく、新規恒常SSRでした。つまり、このピックアップ期間に引かずともいつかは引けるし、最悪後々になって買うことのできる「担当を指定して引ける」プラチナチケットの購入によっても入手できるカードでした。


私は他のPさんに対して「担当の上位カードを持っていなければ担当を名乗る資格はない」なんてことは全く思いません。愛があれば等しく担当だと思います。

ですが、私は自分に対してはそうは思えない性分でした。

特にこのカードは志保の想いが詰まった楽曲「絵本」に纏わる追加カード。
当然、志保のバックボーンに繋がる重要なエピソードが垣間見えるものであるはず。


いち早く入手してそれを見届けることは、担当Pとしての私のちっぽけな「誇り」であり、ミリPとしてこのゲームを続ける「心の最後の砦」でもありました。
結果は無残なものでした。結局、志保のSSRは入手できませんでした。



私はこの日を境に、ミリシタへのログインすら覚束ない日々を送るようになりました。言い訳をするのであれば、一人暮らしを始めるための準備に忙しく、ゲームにかまかけてる暇がまるでなくなった、という環境の変化もありました。

そんな折に先日無事に開催されたのが、今回の『THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 7thLIVE Q@MP FLYER!!! Reburn』(通称ミリオン7thライブR)でした。


私は自分のミリPとしての情熱が再び甦ってくれることに期待していました。半ば祈っていたと言ってもいいかもしれません。自分の中の何かを変えてほしかった。

そんな気持ちで訪れた約二年ぶりのLV。見届けることのできた7thライブ。それは期待とは裏腹に、私にミリPとしての「潮時」を決定付けるものになりました。


「最高だった!」と口々に呟かれるTLやブログの感想を眺めながら、私は少数派にいました。セトリに対する不満と解釈の不一致を拭うことはできませんでした。

アイマスにおける初めての野外ステージ。キャンプというコンセプトの下に組まれた、今回のセットリストと演出。それに沿ったものになることは理解できます。


しかしながら、
意図的に外されたかのような「Fairy楽曲」の極端な少なさ。
「クレシェンドブルー」を揃えているのに、歌われなかった『Shooting Stars』
極めつけは、3rdツアー千秋楽から約5年ぶりの披露となった「絵本」を始めとするソロ曲を、敢えてソロではなく複数人で歌うという演出。


私には到底納得できるものではありませんでした。

二点目に関しては、でも『Flooding』歌ったじゃん、という声が聞こえてきそうですが、それは4thライブの時にシークレットながら達成されているわけですよ。

だったら、3rdツアーの折に4人までしか達成されていなかった『Shooting Stars』を、今回歌うべきだったのではないでしょうか。都会の喧騒を離れたキャンプ地の夜に見える星空、という意味でも、私はこちらの方が合っていると思いました。


三点目に関しては、志保が『絵本』を歌う、その相方に桜守歌織さんを選んだことに対しては、実は不満は一切ありません。このメンツの中で選ぶなら適任だ、とすら思いました。香里有佐さんのことも、私は心から信頼しています。

ただ、ソロ曲を複数で歌う意味、それを知りたいのです。
志保にとって大切な大切な「絵本」という曲を、誰かと共に歌う。その大きな意味を、きちんと定義づけてほしい。担当Pとして理解して、納得したいんですよ。


断っておきたいのですが、演者の皆さんは何一つ悪くありません。彼女たちのパフォーマンスは最高の、今できることを全て詰め込んだステージだったと思います。

同時に、最高だったはずのものを心から「最高だった!」と口にできない自分に、つまらないことで解釈の不一致を受け入れられない自分に、私は失望しています。


いつまでも担当アイドルに、志保に甘えてはいられないと感じます。
一緒にトップアイドルを目指して前を向けていない今の私には、担当プロデューサーを名乗る資格はありません。そんなのプロデューサーでも何でもないのだと。

自分なりに「けじめ」を付けるべきなのだと、思いました。


本当に、ミリオンライブのことが好きでした。
志保のことを、心の底から、愛していました。

だから私は、プロデューサーを名乗ることを辞めます。
本当に、好きだから。いつかまた前を向いて、心の底から胸を張って「俺はお前のプロデューサーだ!」と言える日が来るまで。


「さようなら、大好きな君へ」
しばらくの間は、誰でもない私のままで、見守ります。