誕生日に寄せる想い

今日は私の誕生日である。自分自身、誕生日に対する感慨はほとんどない。
この歳まで来ると、逆にいつもと変わらない、特別でも何でもない日であってほしい、とさえ思うようになった。平穏が一番である。


けれど、たとえ一言でも、フォロワーさんに祝っていただけるのは嬉しい。
このリプライの数は、私が築き上げてきた信頼できる人の数である。
このいいねの数は、リプライを送るほどではないにしても、私に対して何か思うところがあって、それをいいねで表現してくれた人の数である。



尤もらしく言ってるけど、実はちょっと泣きそうになった。
いつもありがとうございます。皆さんに心から感謝しています。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


この一年を振り返ると――というか20代のほぼ大半を雨宮天さんに捧げているような節があるけれど――それでも、敢えてこの一年にスポットを当てるとすれば『想いが成就した一年』と言えるのかもしれない。

待ってほしい、話は最後まで聞いてほしい。
片思いなりに、もしくは一人の青き民なりに、という枕詞をつけよう。


私の28歳は『The Clearest SKY』楽屋花企画の本格化から始まっていた。ちょうど御花屋さんとの話し合いや、イラスト担当との摺り合わせが活発になり始めた頃で、その日も何かと忙しなく「推し事」をしていた。

年を跨いで2020年になると『High Tension!のサイン会』が開催された。
私にとっては初めての、いわゆるちゃんとした形での「接近」である。


「推し事」をしている方なら誰しもそうであると思うのだが、推しと「直接言葉を交わした」という事実、経験は一生の思い出だ。
短いながらも御本人に想いを伝えられた、それが成就でなく何なのか。

人はそれを自己満足と呼ぶかもしれない。実際、そうなのかもしれない。
それでもいいのだ。人がどう表現しようと、自分が感じた想いこそ真実だ。


そして「TCS」への両日参戦。
初めての御祝花企画、それはつまるところ「想い」の結晶であると思う。

私だけでなく、私の想いに応えてくださった御花屋さん、私を信頼して集ってくれた沢山の人たちの「想い」が形になったものだ。
「想い」を「形」にできた経験。これも成就と呼ばずして何と呼ぼうか。


その後、コロナ禍でリアルイベントは消滅の危機に瀕することになったが、天さんは様々な形で私たちとの交流の場を設けてくれた。

Twitter企画の始動、YouTubeチャンネルの開設、あおしゃべりという生配信、PiSオンラインライブ、その同時試聴会イベント……。

彼女が私たちのためにしてくれること、その全てが想いの成就である。
こんな時世になってしまったからこそ、感じられる想いが確かにあった。


最後にラジオへのメール。夏以降、私が最も力を入れたのはここだった。
コロナ禍でもできる応援の形、それを考えた時に最も邪魔にならず、それでいて遅滞なく気持ちを伝えられる方法がメールだった。

振り返ってみると、8月は月10通ペースで送っていた。
しかし心境の変化もあって、その後は大きくペースダウンしている。


天さんが時折してくれる「ファンとのコミュニケーション」の話。これも大切なやり取りの一つの形なんだと、私は考えるようになった。
数は少なくていい。読まれなくてもいい。ただ、伝わりさえすれば。

彼女がラジオで話してくれたこと。ファンに聞きたいと思ってくれたこと。
それに返す感覚で、感想や想いを御手紙と同じように綴ればいい。


本当のところは分からないけれど、私はそんな風に考えるようになってから、メールを読んでもらえるようになった気がしている。

初めてメールを送ってから5年半読まれなかったにも関わらず、この2ヶ月で3通読んでもらえた。これも想いの成就としか言いようがない。


一時は自分を見失い、このブログで感情を吐露してしまったこともあったけれど、間違いなく私にとって必要で大切な一年だった。
次は20代最後の一年。私は私らしく、変わらずまた想いを紡いでいく。
次はリアルイベントで、また「心を通わせることができる」と信じて。