自分の現在位置

LAWSON presents TrySail Live Tour 2023 "SuperBloom"は仙台公演を終え、あとは"Special Edition"と題された幕張追加公演を残すのみとなっている。

私は埼玉・福岡を除く神奈川・大阪・名古屋・宮城に参加してきた。公演数だけ見ると9公演中5公演なので大した数ではないが、参加した全ての地方公演を日帰り弾丸で帯同しているわけで、多少無理してでも参加しようと思ったのには理由があった。


私の中で、彼女達を見届ける最後のツアーになるかもしれなかったからだ。

そう考えるに至る理由を話すには少しばかり時間を遡らなければならない。
今から半年前の年度終わりの時分、推しが30歳のバースデーを控えているという事実は私自身にも変革を促す、その必要性を感じる出来事であった。


今さら推しのご報告を恐れて騒ぎ立てるような格好悪い真似はしないけれども、それでもいつか来るかもしれないその時、果たして私は正気を保っていられるのだろうか? その頃までに私は、自己変革すべきではないのだろうか?と考え始めていた。

そのためには自己の価値を見つめ直す必要があった。
もっと正確に言うならば「雨宮天さんのファンである氷雨」としてではなく「誰でもない私自身としての価値」を見つけなければいけない気がした。


私が私としてここ数年、自己肯定感を保てたのは雨宮天さんのファンとして悔いが残らないくらい全力で応援してきた、その自負があったからだ。

雨宮さんが声帯炎になって歌を披露できずにファンの前で涙を流した時、私はとてつもない無力感に押し潰されそうになった。もう5年も前の話だ。


私は自らの価値のなさ、何もできない無力な自分を突き付けられるのが人生で一番嫌なことだったのだ。だから全力で推しを笑顔にできるファンでありたかったし、そのためなら何でもする覚悟で今日まで全身全霊でもって突き進んできたつもりだ。

しかしその部分を取っ払ったら、果たして私に何が残るのか?


あの頃は純粋に推しの笑顔のために行動してきたけれど、もしかしたらそれは推しを笑顔にできる価値あるTOであるということを自分自身に証明したかっただけなのかもしれない。私はかつての自分自身にそんな猜疑心さえ抱くようになった。

とにかく私は、あくまでオタクである自身を取っ払った仕事や恋愛というプライベートの中で、自らの価値を見出す必要性を感じた。そうすれば来る日が来た時にも私は胸を張って推しのご報告を喜べるファンになれる、そんな風に思ったのだ。


仕事と恋愛というプライベートに本気を出して一定の成果を得ること。
それが半年前、私が私に課したことだった。

それがひいては常に努力し続ける雨宮さんを追いかけるファンとしても一段上のステージに上がることに繋がると思えたのだった。
しかし事はそんなに簡単ではなかった。


自分なりに色々やってみた。女心を勉強するために恋愛セミナーに参加したり、女性慣れするためにコンカフェに行ってみたり、アプリを使って実践経験を積もうとしたり。しかしながら、どれもこれも自嘲してしまうくらい上手くいかなかった。

むしろ、人間不信が加速した。
学生時代のトラウマが甦ってくる始末だ。


仕事もてんでダメだった。
自分の力ではどうにもならない所でダメなのだ。
どんなに頑張っても人が辞めていく職場に未来はない。

何度も転職を考えた。何度も何度も何度も。
転職サイトにも登録した。だが他の会社を探せば探すほど、今のステータスを捨てることを踏み止まらせた。辞めてもいいことはないように思えた。

そもそも辞めるわけにはいかなかった。恋愛市場において無職にはそれこそ何の価値もない。何より自分自身が生きていくためにお金が必要である。
ジリジリとメンタルが削れていくだけの毎日だった。


そんなある日、遂に私の世界一の推しが30歳の誕生日を迎えた。
ずっと昔、あんなに毎年誕生日を迎えることを恐れ、自分の需要を疑ってすらいたネガティブ姉さんだった彼女は、もうここには存在しなかった。

「10年前に自分が思い描いた自分を超えた」
そんな風に言える人間が、この世にどれだけいるのだろう。


そう言える推しを誇りに思えるし、自分が応援してきた9年は何も間違ってなかったんだって思える。けれど、私は私自身の人生にそうは思えない。

情けないことに、この9年の推し事の中で初めて。
「推しを推すことがつらい」と、そう思ってしまった。


ただでさえ陰キャなのに人様にまでネガティブを伝染させるような真似は絶対にしたくなかったし、何より推しが見ているかもしれない所ではなるべくいつも通りの自分で振る舞ってはいたけれど、かなり限界に近かったのかもしれない。
Google先生に「しにたい」と打ち込んでしまったのも初めての経験だった。


ライブに行けばバカほど楽しいことが分かってるのに、家を出るのがクソほど億劫になってるクソゴミメンタルにまで落ちぶれてしまった私だったけれど、仙台公演はフォロワーさんと連番しているのでブッチしては迷惑になってしまう。

何より彼は私よりも過酷な日々を送っているのに、それでも私を慕ってくれる数少ない友人の一人でした。もう彼が慕ってくれた私ではないかもしれないけれど、せめて彼をがっかりさせないように振る舞おうと思いながらを家を出た。


ライブは今までのどの公演よりも熱くて楽しくて、明るくのびのびとしたものだったと思う。特筆すべきはセトリの最終盤、アンコール一曲目に披露された「遥かな航海」だった。仙台公演のこの曲がなぜかめちゃくちゃ心に刺さった。


ほら 海に道はない
さあ 信じたルートで
はるばる続く先へ
どこまでも漕ぎ出そう

はるばる続く未来へ
いつまでも旅の途中


それは決められた道もなければ正解もない、自分が信じた道をただ歩いて積み重ねていく。どんな人も迷いながら人生という名の旅の途中にいる。
そんな風にそっと背中を押してくれているように思えたのだった。


そんな折に語られた、今ツアー初めての推しからの「お知らせ」。
それは私の誕生日に開催される「ディナーショー」の開催だった。

私は知らぬ間に両手を空高く掲げて、喜びを爆発させていた。
嬉しかった、心の底から。
誕生日に推しに会える、これ以上の幸せがこの世にあるだろうか。


まだ私は「私自身の価値」を見つけられてはいないけれど、何も始められてはいないけれど、まだ何も終わってもいない。こんな所では終われない。

これまでも数え切れないくらい推しに支えられてきたのに、また推しからの嬉しいお知らせに生きる希望をもらうことになってしまったけれど、それでもこれがまだ「旅の途中」なのだとしたら、まだ旅の終着点はここじゃないと私は思った。


もう少しだけ、頑張れそうな気がした。
もう少しだけ、見届けさせてほしい。

俺は俺自身の弱さを超えて。
推しのようにもっともっと強くて価値ある人間になる。
それが私の現在位置なのでした。