また会える日まで

強くなりたかった。
彼女に見合う強い男になりたかった。
好きであればあるほどに。

負けるのは嫌だった。
敗者になりたくなかった。
負け組になりたくなかった。


私はきっと勝ちたかったのだ。
一番強いオタクになりたかったのだ。
好きを示す術を他に知らなかったから。

家族でも友人でも関係者でもない。
同業者にも関わる職にも就けていない。
それならせめて「一番の」ファンに。


パンフレットに掲載されること。
サイン缶バッジを引き当てること。
直筆サイングッズを手に入れること。

お花を贈ること。
メールを読まれること。
サイン会に行って気持ちを伝えること。


「強いオタク」スタンプラリーである。
そうやって、一つずつスタンプを集めて。
あとは「A賞」を残すのみとなっていた。

そんな風にスタンプを集めていく過程で。
他のオタクに認知され、一目置かれていく。
願わくば、彼女にも。伝わってほしかった。


知っている。理解している。
見返りを求めてはいけないことも。
そんなことをしても満たされないことも。

彼女にとって、ただのファンでしかないことも。
……結局「一番に」なんてなれないことも。
自分が「一番」分かっていた、はずだった。


笑顔でいてほしい。幸せでいてほしい。
紛れもない真実の気持ちだ。そこに嘘はない。
けれど、そんな風に嘯いておきながら。

……本当は、愛し、愛されたいのだ。
ファンをこんなに愛してくれる演者はいない。
それも知っている。知りすぎるほどに。


ガチ恋
そんなふざけた言葉で片付けられないほどに。
心の底から好きな人なのだから。

だから、せめて迷惑はかけたくない。
彼女にとって危ないやつにはなりたくない。
彼女を傷付けることは絶対に嫌だ。


けれど、他のオタクの幸せを願えるほど。
強くいられないし、心が綺麗でもない。
偽りの言葉を重ねられるほど器用でもない。

私の方が何十倍も、何百倍も「好き」だ。
そんな風に思いたくないのに、思ってしまう。
色んな感情が複雑に絡み合い、壊れてしまう。


たった一つ言えることは。
今の私は、例え演者とファンとしてであっても。
彼女の気持ちを受け取れない。その資格もない。

それでも、彼女のしてきたことを穢さないために。
私が信じてきたことを、自ら壊してしまう前に。
少しだけ、休みたいと思う。

メールを読まれた話

好きな言葉は初志貫徹。こんばんは、氷雨です。
9/2に雨宮天さんの3rdアルバム『Paint it, BLUE』が発売になりました。リリースおめでとうございます! 皆さんはもう買って聴きましたか?

今回は2年ぶりのニューアルバム、そして各所のインタビューでも語られているように、これまでの2枚とは異なる趣きが随所に感じられます。
『overture』からの幕開け、既存シングルを絞って新曲を多く取り入れた構成、自身初の作詞・作曲曲『火花』の収録など、初めて尽くし。


「音楽チームが新しくなった」とのことでもあるので、それが雨宮天さんが織り成す曲の世界観にどんな化学反応をもたらしているのか……。
ぜひ手にとって、自分の耳で確かめてみて下さい!

完全生産限定版にはトートバッグの他、これまでの5年間の軌跡を収録したDVD。初回生産限定版にはMVフルバージョンやメイキングが収録されたBDも付属されるので青き民は必携です。そうでない方も自分に合ったものを購入されることをおすすめします!


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


と、公式スタッフばりに宣伝をぶちかましたところで、本日の本題です。
以前『自己満足と劣等感の話』で、ネガティブな話をしました。
ラジオでメールが読まれないというフラストレーションを「自己満足」「劣等感」になぞらえてお話をさせていただいたわけですが……。


なんと。苦節5年半。遂に。読んでいただけたのです!!!
名前が読み上げられた瞬間、耳を疑い、次に自分の頭を疑いました。メールの文面が読まれると、確かに私が書いたメールに相違なく、状況が飲み込めると心臓がバクバクと音を立て、手も震えてきて、正直お話の内容はほとんど頭に入ってきませんでした。


読んでいただいたメールは以下の通りです。


たかだが一通読まれただけでメール職人気取りかよという声が聞こえてきそうですが、今後原点に立ち反れるよう、またメールを送る方法を知りたい方のためにも、具体的にどういったところに意識して考えたのか、備忘録代わりに記しておきます。


①タイトル
受信BOXの一覧画面だけでも内容が分かるよう、番組名は省いてコーナー名を率直に書くのが望ましいと思うので、そのように書いています。

②名前
一行目にラジオネーム。括弧書きで読み方まで記しておけば、読み間違いもなくスムーズかつ、演者の方にも良心的かと思います。

③挨拶
二行目に挨拶です。コーナーによっては省くこともありますが、大体ふつおたなら挨拶から入るのが一般的なのかなと感じます。


④本文
・最初の三行
アルバムリード曲MVの話をしました。
宣伝にもなるよう発売日等まで詳細に書きましたが、読まれた際にはカットされていたので結果的にはなくても良かったですね。冗長であれば読みやすいようにラジオ作家さんが省いて下さるので、迷ったら書くのが正解かなと思っています。


・中段の三行
次に感想をできるだけ手短にまとめました。話を広げやすいよう、ここにもできるだけトークの種を蒔いています。具体的には後のトークの中で「ハードボイルド」「運転シーン」が話題に上がりました。そういう単語を選べればベストでしょうか。


・最後の三行
悪天候」イジりでクスッと笑いが起きればいいなと考えたのもありますし、天気の話も話題にしやすいだろうということで入れておきました。
実際、最初のトークの取っ掛かりは天気の話からでした。

ラスト二行が話題のメインテーマとなる、いわゆる「質問」的な内容ですね。
Yes、Noで答えられるものよりは「こうでこうでこうだった」と話が広がりそうな聞き方をすることがポイントになるのかなと思います。


あとは基本的なことですが「読みやすさ」を意識するのも大事です。
適度に改行を挿むのはもちろんですが、自分で読んでみて大体「30~60秒」くらいで読み上げられる文量が適切だと聞いたことがあります。


最後に抽象的ですが「心」を込めること。読んで欲しいと思うなとまでは言いませんが、そう思っている間は私は全く読まれませんでした。
自分のメールでパーソナリティーの方々を楽しませてあげられるか。話をしているところをイメージできるか、が大切なのかもしれません。


採用に至らずとも読んでもらえてたらいいな、くらいの心持ちでいるのが一番いい距離感なんだろうと感じます。実際、毎回クオリティの高いメールを考えるのは大変ですし、会心の出来でも採用されるのは本当に狭き門です。私も40通近く送りました。


それでも自分が送ったメールで、大好きなパーソナリティーの皆さんが楽しそうにお話されている様子を聴く喜びは、言葉にできないものがありました。
本当に読んでいただいて、ありがとうございました!
これからも楽しい話題を提供できるよう精進していきます!

雨宮天さん誕生祭2020

現実でも夢でもセミに体当たりされてトラウマ。氷雨です。
本日8月28日は、私の敬愛する声優アーティスト・雨宮天さんのお誕生日です。
天さん、27歳のお誕生日。本当におめでとうございます!!

このブログでは過去、2018年から雨宮天さんのお誕生日をお祝いする記事を書かせていただいておりますが、Twitterを掘り返すと2015年からお誕生日をお祝いするツイートがありましたので、何となく私の青き軌跡として掲載しておきたいと思います。





2018年の分は無断転載していたので猛省し掲載を自粛します。




こうしてみると、私が天さんを応援してきた6年弱、お誕生日をお祝いするのは6回目になるわけですが、本当に長く声優・アーティストとして第一線で活動を続けてくださっていて、心惹かれる存在であり続けてくださって、感謝の言葉しか出てきません。
年々愛が重くなってるのが見て取れるわけですが……。


ずっと誰かを応援していられるのって、奇跡みたいなものだと思っていて。
「推しは推せる時に推せ」って言葉がありますけれど。

声優として大成できる方はほんの一握りだと聞いています。一度有名になっても年々メディア露出が減っていったり、若手の台頭や個々人の事情で活動が減っていったり。ファンだってどんどん新しい作品、期待の新星に目移りしていく方も多いでしょう。


そんな中で、お互いにお互いを想い合ってきた時間は確かにそこにあって。例え声優さんが活動しなくなっても、ファンが別の方を推すようになっても、それは嘘偽りのない時間だったと思いますけれど、私たちと雨宮天さんの時間はまだまだ続いていて。

御本人が『一緒に笑いながら泣きながら、まだまだ作っていきたいので、これからもよろしくお願いします!』と仰ってくださっている。これほど嬉しいことがこの世に存在するでしょうか? 少なくとも私はこの言葉だけで、これからも生きていけます。


最後に天さんにお会いしたPARADOXのリリイベから、およそ半年が経ちました。
今なお、ライブやイベントを通常開催できる未来は見えないままです。
なくなったライブやイベント。報告する演者の方々の気持ち。それを思うと悔しいし、つらい。正直、生きる意味が見えなくなりそうな日もあります。

それでも、私たちがそんな顔をしていたら、憧れの人が余計に悲しむと思います。私の原動力は好きな人の、雨宮天さんの笑顔を見ることですから。


だから、ソロライブツアー中止の報を受けたその日に、私は『#天ちゃん10日間応援ツアー』というSNSから一人でもできる企画を考えてみました。
青き民は強いんだぞと。つらくても前を向けるんだぞと。あなたに笑顔でいてほしくて、そのためなら何でもやるんだぞと。そう思って考えました。

最近始めたツイキャスによる一人喋りなんかも、実はその一環で。天さんファンのやつがなんかしてるぞ、と思ってもらえるだけで成功なんです。


全くもって拙い話ではありますけれど、もしかしたら私にしかできない話、私にしか伝えられない考えもあるかもしれなくて。ブログを読むのは面倒くさいけど、肉声なら聞いてもいいかって方もいらっしゃるかもしれないので、勇気を出して始めてみました。

私一人にできることは小さなものでも、沢山の人の手によって大きくなっていくことは、これまで出会ってきた皆さんが私に教えてくれました。


ここでもキャスでもお話しておりますが、2018年5月9日の『誓いリリイベ』
あの日無理が祟って風邪を拗らせてしまい、声帯炎になってしまった天さん。
歌は歌えなくなってしまったけれど、それでも必死に声を絞り出してくれました。一生懸命、ファンの皆に気持ちを言葉にして伝えてくれました。

声が命のお仕事をしている以上、それはともすれば、声優生命にも関わる行動かもしれなくて。きっと周りの方々も止めたんじゃないかと思います。
私たちでさえ、それ以上喋らなくてもいいから休んで!と感じたくらいでした。


けれど、リリイベを大事にしていると語った言葉を。それだけ本気の私たちへの想いを。後にブログで嬉しくて溢れてしまうと仰ってくださった涙を。
あの日受け止めることができたファンとして、私も本気になろうと心に誓いました。

それから今日まで、私は自分でファンとして恥じない、青き民として悔いのない応援ができたと胸を張って言えます。それをこれからも、天さんが歩みを止めるまで。いいえ、彼女が止めても私の命が尽きるまで、続けていこうと本当に思っています。


27歳の一年も。その先も。
雨宮天さんにとって、輝かしく素敵な時間になることを願っています。

twipla.jp

自己評価と他己評価の話

こんばんは、氷雨です。
連日の更新なのは、あるはずだった某ライブのために有給を入れていたのに、それがなくなって時間を持て余しているからです。どうでもいい小話ですね。


さて、早速本題に入りたいと思うのですが、今日のテーマは「自己評価」と「他己評価」についてです。自分から見た自分と、他人から見た自分。
突然ですが、私は決して自己評価が高くはありませんでした。

ですから、元々はラジオでコーナーにしてしまうほど、自他ともに認めるネガティブ思考の持ち主だった推しに、共感する部分があったのかもしれません。


北沢志保に捧ぐPの戯言」の記事でも書いたのですが、私は「自分には秀でるものが何一つない」と本気で思っていました。今でも少し思っています。

それでもフォロワーさんの中には、私のことを「師匠」と慕って下さる方がいらしたり、私以上に真剣に担当や推しに向き合っている人物を他に知らない、と言って下さる方がいたり。本当に有り難いことだなと感じています。

あと今となっては認めるしかないのですが、私を「ガチ恋大王」と呼ぶ方もいて。なんだよそれって笑っちゃうんですけど、でもそれって私が「本当に推しのことが好きなやつ」だと認識してくださっているからなんですよね。


他にも「自己評価」と「他己評価」のズレを感じたエピソードがあって。

まず1つ目に、ライブ後にとある打ち上げに参加した時のことなんですが。
そこに集まった方は私と相互フォローの方ばかりだったんですけど、お一人だけ当時はまだ「フォロワーのフォロワー」だった方がいらしたんです。

「え? 氷雨さんですか? 有名人じゃないですか」
挨拶し終わった後、その方にそんな風に言っていただいたんですね。
私はまっっっっったく、自分が界隈の有名人だと思ったことはありません。


同様に、とある方のキャスを拝聴していた時のお話です。

氷雨さんを敵に回すのは、青き民を全員敵に回すようなもの」
と言われたことを、今でもよく覚えています。
いやいや、私にそんな影響力はないですよ!とお返ししたんですけども。

良いか悪いかは別にして、周りの方たちにこういう風に思っていただけるということは、私がしてきたことは。推しに向き合い続けてきたことは。
間違ってなかったんじゃないか。そう考えても良いのかなって思います。


ついでに、Twitterで以前お聞きしたアンケート結果をお見せします。


私は雨宮天さんを単推ししているように見えるか、TrySailを箱推ししているように見えるか。フォロワーさんにはどう見えているのか聞いてみました。
約87%が雨宮天さん単推しに見えているようです。

Twitterでツイートしている内容の大半が雨宮天さんに関する話題なので、当然といえば当然なのかもしれませんが、それにしてもかなり高い数字です。
同様に別の日に募集したアンケート結果をご覧下さい。



81%が私は雨宮天さんに人生を捧げているように見えるようです。
もちろん、この投票は私のフォロワーさんに向けてお聞きしたものなので、私のことを肯定的に捉えてくださっている方が投票者の大部分を占めているものと思われるのですが、それにしたって8割超えは決して少なくはない数字です。


何が言いたいのかと言うと、この数字に見合うだけの雨宮天さんのファンでありたい、青き民でありたい。改めてそう感じたというお話なんですね。

最近ちょっと言わなくてもいいことや、余計なことを言ってしまっている節があるので、今一度自戒というか。心に刻んでおきたいなと思ったんです。


何ていうか。自己肯定感がちょっと足りないなって思った時に、こうしたアンケートを採らせてもらって、望んだ結果以上のものが返ってくると。

びっくりするんですけど、それ以上にとても嬉しくて。
私はフォロワーさんに、こうやって支えてもらってるんだなって感じるんです。


ファンは推しの映し鏡だ、なんてよく言われますけど。
なんかこういうとこ、推しに似てますよね。

今でこそ、どんどんポジティブになっておられる雨宮天さんですが、彼女がファンに支えられてここまで来たと仰ってくださるように、私自身も天さんに、周りの方たちに支えていただいて、今日まで来られたなって思ってます。


推しに会えずとも前を向けているのは、たぶんそういうことなんだよなって。
改めて言うのも照れくさいですけど、これからもよろしくお願いします!
最後にもう一度、私が立ち上げさせていただいた企画を宣伝して終わります。

最近感じるそれ違くない?な話

こんばんは、氷雨です。
いつまで経っても改善しない状況と、手を拱いてばかりで何ら有効な対策を打てない行政を見ていると、自分がどんどん性格が悪くなっていくというか、確実に沸点が低くなっている……。短気になっているような気がします。


なぜエンタメ業界の中で、ライブだけがいつまでも規制されるのでしょう?
経済を動かしたいというのなら、一度のライブで何億というお金が動くライブこそ、開催を後押しするのが経済活動の活性化に繋がるんじゃないでしょうか?
「十分な対策を行った上で」という条件は当然あって然るべきではあるけれど、ツアーであれば尚更、大きな収支が動くことになるのに……。


まあいいです。今日お話したい本題に入りたいと思います。
まずは私のTwitterで行った、こちらのアンケートをご覧下さい。


全額返金するべきが約1割。
チケ代以外も一部返金すべきが約4.5割。
チケ代以外はやむを得ないが約4.5割。

どうでしょう。
これを見て、皆さんはどのように思いましたか?
結論から言うと、私はチケ代以外やむを得ないと思っています。


そもそも、ライブが行われなかったから手数料や配送料を返せと言うのなら、これまでにライブが行われていた頃から「ちょっと手数料や配送料、高すぎるんじゃない?」と疑問を呈すべき問題なんじゃないでしょうか。
手数料や配送料は、本来ライブ開催の有無を問わず発生する料金です。
だとしたら、そこにケチをつけるのは、私は意味のないことだと思います。


私が物流関係の仕事をしているから感じることなのかもしれませんが、根本的に配送料無料が当たり前に、世の中に浸透しすぎていると感じます。
よく考えてみて下さい。配送料無料って何なんですかね。
そのカットされた料金はどこから出ているのでしょう? 代わりに何が圧迫されていると思いますか? 配送業者にはデメリットしかないんですよね。


開催が中止されたのに、払い戻しチケットを配送する形になっている現在のシステムは確かに問題です。無駄が多く、必要のない手間だと思います。
その辺をオンライン上で手続きできるようになるのが一番いいことなのですが、現状「配送」というコストがかかってしまっている以上、そこに料金も仕事も発生してしまっているわけで、だとしたらそれは誰かが負担しなければならない。
それはチケットを注文した「あなた」なのではないでしょうか?


手数料も同じことです。
そのシステムを利用すること、クレジットカード払いにせよコンビニ払いにせよ、支払いが行われる過程には沢山のルートを経て主催者の元に振り込まれるはずです。
それはライブが開催されなかったとしても、そのサービスを「利用」ないし「享受」する者として、支払って然るべき代金なのではありませんか?


それが社会活動、経済活動ってもんだと私は思いますよ。
それでもライブが中止されたのは、自分とは無関係に行われた判断なので、判断した主催側が負担して然るべきであるというのなら、そんな状況下でチケットを申し込んだ「あなたの判断」は本当に正しかったのですか?と言わなければなりません。
そんな堂々巡りな議論がしたいのなら別ですが、私はそんな詮無き議論はしたくない。


確かに戻ってこなかったそれらの料金で、もう一枚チケットが買えるという方もいらっしゃることでしょう。本当に残念で悔しいことです。
しかしながら、当たり前が当たり前でない時代が目の前に来てしまっているのです。これまでのことを省みるきっかけくらいにはしてやりましょう。
それが今を生き抜くことに繋がるのではないでしょうか。


最後に余談ではございますが、今回は残念ながら中止になってしまった『雨宮天さんライブツアー2020(仮)』にて、僭越ながら私が主催としてお贈りするはずだった楽屋花企画も伴って凍結することになってしまいました。
代わりの企画といってはなんですが、私なりに考えた結果、『天ちゃん10日間応援ツアー』という企画を新たに立ち上げることといたしました。


詳細は下記のツイート、ツイプラに記載してあります。
もし少しでもご興味がおありの方がいらっしゃいましたら、ご参加・ご拡散に力をお貸し下さいますよう、何卒よろしくお願いいたします。
断腸の思いでライブの中止という判断に至った天さんやスタッフの皆さんに、少しでも笑顔になっていただけることを心より祈っています。