『High Tension!』なワケ

こんばんは、氷雨です。
私が主催させていただいております製本企画、雨宮天さん「声優デビュー10周年」御祝『天年の宴』に関する作業がいよいよ佳境に入ってきております。

ご参加の20名の皆様と鋭意作業進行中でございますので、何卒楽しみにしていただければ幸いです。協賛(本の受注生産)枠はまだまだ募集中なのでぜひ!


と宣伝を挿し込んだところで、本日の本題。
先週9/25・26日と2Days、TrySailライブツアー2021『Re Bon Voyage』神戸公演が開催されました。私はこのツアー10/3の横浜(実家)公演が初日になるので、ネタバレになりそうな内容はできるだけ見ないようにしているのですが、そんな中で興味深いツイートがいくつか流れてきましたので、一部抜粋いたします。


北沢志保役の天さんしか知らなかったから、見た目の通りクールなのかと思ってたらTrySailの天さんはあんなにはっちゃけるんだって驚いた」(意訳)

といった感想が複数見受けられ密かにほくそ笑んでいました。
これが「ギャップの女王・雨宮天さん」なのです。


天さんといえば近年「=ベテラン赤ちゃん○○年目」と並んで「=スーパーハイテンションお姉さん」みたいな公式が出来上がりつつあるような気がします。

最近ファンになられた方からすれば想像がつかないかもしれませんが、デビュー当初の天さんは自他ともに認める「ネガティブお姉さん」だったんですよね。


現在も放送中のTrySailのラジオ「TRYangle Harmony」内の初期お当番コーナーは「雨のち青天」と言いまして、リスナーのちょっぴりブルーなエピソードを自分流の解釈によって青天エピソードに変えるという特訓コーナーがありました。


どれくらいネガティブだったのか……これはぜひセカンドショットチャンネルに入っていただいて、トラハモのアーカイブを聴いていただくとして、公式ブログ「天模様」を遡るだけでも、その変遷は窺い知れるところなのではないでしょうか。


じゃあ、天さんが「ハイテンションなポジティブお姉さん」になったのは一体いつからなんでしょうか? これは私は2018年頃からだと考えております。


①「雨のち青天」

先ほど申し上げた「雨のち青天」がトラハモの中で実質レギュラー最終回だったのが調査の結果、第249回(2018/10/16放送回)だったことが分かりました。

そして第252回から天さんの担当コーナーは「天なのにっ!」というギャップ人の天才である彼女の「意外な一面」をリスナーから募るものに変わります。

この5年弱も続いたレギュラーコーナー変更は、天さん自身が十分にポジティブになったと周囲からも判断されたひとつの指標になるんじゃないでしょうか?


②「The Travels of TrySail

2018年2月~5月にかけて開催されたTrySailの2ndライブツアーです。私が特筆したいのはこの最終盤、新潟公演~幕張千秋楽公演にかけてのお話なのですが。

2018年5月といえば天さんが喉を痛めてしまい、声が出せない時期でした。そのため、新潟公演は異例ともなる「麻倉ももさんと夏川椎菜さん、全曲二人だけの歌唱」にて行われ「雨宮天さんは振り付けのみ」という演出がなされました。


この演出が決まったのは早くても5月の頭、遅ければ5/13の公演数日前であろうと思われるので、麻倉ももさんと夏川椎菜さんの負担は想像以上だと思います。

この日のセトリの全ての曲の歌割りを一から見直さなければならないわけですし、その他にも我々の及びもつかないところで色々な変更が行われたはずです。


TrySailといえば、ユニットに先駆けてソロデビューしていた雨宮天さんが屋台骨である、ということはある時期まで内外から周知の事実だったと思います。

ユニット名も天さんの発案ですし、演出の疑問や方向性なども真っ先にスタッフさんにぶつけていたのは、間違いなく天さんだったのだろうと想像します。


もちょは正確無比な振り付け。ナンちゃんは会場を沸かせる煽りやコール。これは天さんよりも優れている二人の専売特許になりつつありますけど、たぶん初期の頃は天さんが全部引っ張ろうとしていたんじゃないかと私は思っています。

今となっては当時のことは覚えていませんが、煽りも最初は天さんが入れていたという話が「Go for a Sail」の特典冊子のインタビューに書かれています。


で、新潟公演から一週間後の5/20。ツアー千秋楽の幕張公演。
BDにもなっておりますのでぜひ確認していただきたいのですが、この日の天さんのはっちゃけ具合は当時あまり類を見ないほど爆発していました。

「disco」のコブシや「primary」のナイトクルーズ、「僕らのシンフォニー」の"運命~!” などなど……心の底からはしゃぎ倒しているように見えました。


それは喉の静養から明けて一発目の2日間だったからだと思っていたんですが、後になって考えてみると、色んな積み重ねを経て天さん自身が

「あ、任せてもいいんだ」「私が頑張らなくてもいいんだ」

と思えるようになったことが分かったから、なんじゃないかなあと。
そうであったらいいなあ、と私は感じています。


③「The Only SKY」

前述のツアーを終えた2018年7月~9月、次は1stソロツアーが開催。僕の記憶が正しければ、このツアーの中で初めてファンを「民」と表現してくれました。

天さんは1stライブ「Various SKY」の前にドレスコードとして青いものを身に着けてきてほしい!とブログに書いていて、ファンはそのことをずっと覚えていた、というかもう当たり前すぎて半ば無意識的なものだったと思うんですけど。


その後は天さんが何も言わずとも、実行に移してくれているファンを見渡して「意識高き、よき民よ」とMCの中で嬉しそうに話してくれたんですよね。

で、この日を境に天さんのブログの中にも「青き民」というワードが割と頻繁に登場するようになるんですよ。ちなみにそれ以前は「ファンの皆さん」。


これも②の話と同じ結論に達するんですけど、やっぱり「あ、自分を委ねても良いんだ」「受け止めてくれるんだ」という経験の積み重ねがあって、心の距離が取り払われて、素に限りなく近いものを出せるようになったからなのかなって。


先日「フリイジア」のリリイベの中で「みんなで雨宮天を作っていきたい」「みんなの方が私の魅力を分かってくれてる気がする」と天さんは言ってくれたんですけど、まさにそういう気持ちが表れた言葉だったんじゃないかなって思えて。

「あなたのそういうとこですよ!」って感じなんですけど!


なんかもう、ただただ、嬉しいですよね。
好きな人が、ほんの一部の影響かもしれないけど私たちの言葉や想いが原動力になって、笑顔を見せてくれたり、幸せだって言ってくれたりするわけですよ。


という感じで話が脱線してきたので締めにかかりますが、2018年は私が本気の応援を志すようになった転換期なんですけど、雨宮天さんにとっても非常に大きな一年になったんじゃないか、という想像はあながち間違ってはいないと思います。

もちろんこれは全部、私が観測してきた事象から構成した主観であり憶測であり、事実と異なる考え方かもしれないので鵜呑みにはしないでほしいのですが。


改めて思うのは、この人を応援してきてよかったということに尽きますね。私たちファンにできることは本当に小さなことしかないんですけど、それでも推しを少しでも笑顔に、幸せにできたのだとしたら、もうそれは「夢叶ったり」ですよ。

これからも、そんな日々を積み重ねていけたら。
雨宮天さんを幸せにできるファンでいたいです。